yaplog!が終わってしまうので、「新・くまのひとりごと」(2012年12月31日から2019年8月5日まで)をココに保管することにしました。
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先週は魅惑の宝塚ツアーを敢行したため、教会に行くのはお休みした。
で、昨日、2週間ぶりの礼拝に出席した。
常駐する牧師さんが居ないため、今年度は立教のチャプレンをされている金司祭が、ウチの教会の管理牧師をして下さっている。
持ち回りで司祭様が聖餐式に来て下さるのだが、昨日は金司祭の日だった。
日本にいらして10年。
こんなに流暢に日本語を操れるものなのか?
ガチ、凄い。
マジ、尊敬。
お説教(礼拝でのお話)もめっちゃ、わかりやすい。
小難しいことを言われると、途中で理解に苦しみ、「ん?」ってなっちゃう時がある。
でも、金先生はとても素直な言葉で語ってくださるのがええ。
で、礼拝も終盤に入った頃だった。
最後の聖歌を歌う時に不思議現象が起きたのだ。
聖歌番号「489番」。
2006年に、54年振りに日本聖公会の古今聖歌集は改定された。
その際に新しく加わった曲である。

この20年、まともに通ってないアタシが知っているとは到底思えない。
ただ、聖歌ってね、↑↑↑の画像の通り、音符と歌詞が書いてあるから、初めての曲でもなんとなく歌えちゃったりするわけ。
たいてい、3番〜4番まであるから、最後の方になると、わりといけちゃう。
で、前奏を聞いて、ふむふむ、綺麗なメロディーだなぁなんてことを思って、1番の最初の歌詞を歌おうとしたその時だった。
急に涙腺が崩壊し始めた。
(へ?何が起きてるの?
アタシ、大丈夫?)
冷静になろうと、涙を堪えながら歌おうとする。
でも、歌詞を口にすると、またドドドーッと涙腺の波が押し寄せてくる。
我慢しても、出てくるものは止められない。
瞼をおさえて涙を止めつつ、口は懸命に歌おうとする。
だが、しかし。
もはや、わけわからん状態に陥ってしまった。
自分の理性とは別のところで、何かのスイッチが入ってしまったのだろうか。
礼拝後に、まきちゃんにこのことを伝えると、
「何かが憑依したんじゃない?笑」
とケラケラ笑っていた。
いやいや、笑えないって。
まじで怖かったんだって。笑
でも、アタシは能力者じゃないしなー。
結局、4番まで涙腺との戦いは続いた。
礼拝後の黙想の間、膝まづきながら気持ちを落ち着けつつ、瞼を押さえていると視線を感じた。
隣にいたなおこさんだった。
流石に、隣に座っていたら気づくわな。
いつもなら、楽しそうに聖歌を歌うアタシが、喉を詰まらせてまともに声が出せず、よくよくみたら、泣いてるんだから。
そりゃ、ビビるでしょ。
口パクで、
「大丈夫?」
と聞いてきた。
「うん。」
半分ぐらい冷静になってきたアタシは頷いた。
いやぁ〜びっくらした。
ほんに驚いた。
何があったんだろう。
ちなみに、489番の歌詞はこんなん。
「心を尽くして 思いを尽くして 力を尽くして 主なる神 愛せ
神の愛受けて 隣人(となりびと)愛せ 自分の命を 慈しむように
掟を知る者 キリストに出会い とこしえの命 受け継ぐ喜び
神をあおぎみて 人と出会うとき 十字の真中の 主イエスがおられる」
で、YouTubeにも上がっていたのでめちゃんこゴージャスに歌っているURLも貼りつけよう。
https://youtu.be/bWxiRlM7mKc
↑↑↑これだ。
今日は仕事で行き詰まると、これを聴きながら乗り越えた。
昨日のような涙腺崩壊は起きず、ふつーに聴けた。
これでまたドドドーッと波が来たらどうしよう?と思ってたから、ホッとした。
489番。
忘れられない聖歌となった。
みんみ、むっくよ。
お母さんが死んだ時、もしまだ聖公会が存続していたら…
葬送式の際に、489番をアタシの愛唱歌として歌っておくれ。
ガチで。
「5月19日、この日をアタシの愛唱歌が決まった記念日とする。」
(「ここをキャンプ地とする」風に読んでね。笑)
そろそろ日吉に着く。
今日はウチに帰ってから教会のパソコン作業が待っている。
サクサクッとやってしまおう。
そりでは、みなさま、今夜もステキングな夢を。
で、昨日、2週間ぶりの礼拝に出席した。
常駐する牧師さんが居ないため、今年度は立教のチャプレンをされている金司祭が、ウチの教会の管理牧師をして下さっている。
持ち回りで司祭様が聖餐式に来て下さるのだが、昨日は金司祭の日だった。
日本にいらして10年。
こんなに流暢に日本語を操れるものなのか?
ガチ、凄い。
マジ、尊敬。
お説教(礼拝でのお話)もめっちゃ、わかりやすい。
小難しいことを言われると、途中で理解に苦しみ、「ん?」ってなっちゃう時がある。
でも、金先生はとても素直な言葉で語ってくださるのがええ。
で、礼拝も終盤に入った頃だった。
最後の聖歌を歌う時に不思議現象が起きたのだ。
聖歌番号「489番」。
2006年に、54年振りに日本聖公会の古今聖歌集は改定された。
その際に新しく加わった曲である。

この20年、まともに通ってないアタシが知っているとは到底思えない。
ただ、聖歌ってね、↑↑↑の画像の通り、音符と歌詞が書いてあるから、初めての曲でもなんとなく歌えちゃったりするわけ。
たいてい、3番〜4番まであるから、最後の方になると、わりといけちゃう。
で、前奏を聞いて、ふむふむ、綺麗なメロディーだなぁなんてことを思って、1番の最初の歌詞を歌おうとしたその時だった。
急に涙腺が崩壊し始めた。
(へ?何が起きてるの?
アタシ、大丈夫?)
冷静になろうと、涙を堪えながら歌おうとする。
でも、歌詞を口にすると、またドドドーッと涙腺の波が押し寄せてくる。
我慢しても、出てくるものは止められない。
瞼をおさえて涙を止めつつ、口は懸命に歌おうとする。
だが、しかし。
もはや、わけわからん状態に陥ってしまった。
自分の理性とは別のところで、何かのスイッチが入ってしまったのだろうか。
礼拝後に、まきちゃんにこのことを伝えると、
「何かが憑依したんじゃない?笑」
とケラケラ笑っていた。
いやいや、笑えないって。
まじで怖かったんだって。笑
でも、アタシは能力者じゃないしなー。
結局、4番まで涙腺との戦いは続いた。
礼拝後の黙想の間、膝まづきながら気持ちを落ち着けつつ、瞼を押さえていると視線を感じた。
隣にいたなおこさんだった。
流石に、隣に座っていたら気づくわな。
いつもなら、楽しそうに聖歌を歌うアタシが、喉を詰まらせてまともに声が出せず、よくよくみたら、泣いてるんだから。
そりゃ、ビビるでしょ。
口パクで、
「大丈夫?」
と聞いてきた。
「うん。」
半分ぐらい冷静になってきたアタシは頷いた。
いやぁ〜びっくらした。
ほんに驚いた。
何があったんだろう。
ちなみに、489番の歌詞はこんなん。
「心を尽くして 思いを尽くして 力を尽くして 主なる神 愛せ
神の愛受けて 隣人(となりびと)愛せ 自分の命を 慈しむように
掟を知る者 キリストに出会い とこしえの命 受け継ぐ喜び
神をあおぎみて 人と出会うとき 十字の真中の 主イエスがおられる」
で、YouTubeにも上がっていたのでめちゃんこゴージャスに歌っているURLも貼りつけよう。
https://youtu.be/bWxiRlM7mKc
↑↑↑これだ。
今日は仕事で行き詰まると、これを聴きながら乗り越えた。
昨日のような涙腺崩壊は起きず、ふつーに聴けた。
これでまたドドドーッと波が来たらどうしよう?と思ってたから、ホッとした。
489番。
忘れられない聖歌となった。
みんみ、むっくよ。
お母さんが死んだ時、もしまだ聖公会が存続していたら…
葬送式の際に、489番をアタシの愛唱歌として歌っておくれ。
ガチで。
「5月19日、この日をアタシの愛唱歌が決まった記念日とする。」
(「ここをキャンプ地とする」風に読んでね。笑)
そろそろ日吉に着く。
今日はウチに帰ってから教会のパソコン作業が待っている。
サクサクッとやってしまおう。
そりでは、みなさま、今夜もステキングな夢を。
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