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yaplog!が終わってしまうので、「新・くまのひとりごと」(2012年12月31日から2019年8月5日まで)をココに保管することにしました。
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今日は3月11日。

東日本大震災から丸3年。

昨日、くま母なおちゃんと他愛もない話を電話でしていた。

自然と話の流れが震災へと変わっていった。



あの日のこと、あの時のことを今でもアタシは忘れない。

前日の10日。

奇跡的に(笑)みんみが一橋に合格。

翌日の11日のお昼過ぎ。

仲良く二人して三井住友銀行に入学金を納めに行った。



日吉駅で別れた。

アタシはメダカの水槽を掃除するためにウチに戻った。

みんみは、久しぶりにお買い物がしたい!と

センター南の東急へ向かった。



むっくは、午後からの中学の謝恩会に参加するまで

友だちとカラオケに行くと言って出かけていた。



のんびり水槽を洗っていたちょうどその時、

あの大きな地震が東日本を襲った。

むっくは事の重大さに全然気づかず、暢気な顔をしてウチに戻ってきた。



みんみとはかろうじてメールで連絡が取れた。

センター南の駅に避難しているという。

兎に角、そこにじっとしていなさい…とだけ伝えた。



夕方から開催するはずだったむっくのクラスの謝恩会。

ダメもとでお店に連絡をしてみる。

お店自体、開店できない状態だという。



外がどんな状態なのか全然わかっていないアタシは、

まさか、津波が襲ってきていたことなんて想像だにしていなかった。

謝恩会委員のメンバーと共に、中止のお知らせを回し、

間違えてお店に来てしまった人たちのために、お店の前に集合することになった。



電気が遮断された日吉の街。

まるでそこはゴーストタウンだった。

駅から家路に向かう人々が黙々と歩いている。

その人ごみをむっくと一緒に逆走した。



予想以上に中止の連絡がキチンと回り、お店に来る子供たちは少なかった。

安心しつつも、みんみのことが気になる。

一緒に居たメンバーがセンター南まで

車で迎えにいってあげるよ!と言ってきてくれた。

それから往復4時間近くかけて、みんみを救出した。



普段なら片道20分もかからない道のりだった。

建物が倒壊するとか、火事が起きるとか、川が氾濫するとか…

そんなこととは一切無縁だった。

でも、今回の地震の大きさは確実にアタシの心に残った。



こんな被害のうちに入らない経験しかしていないアタシでさえ、

あの日のことは今でもくっきりと思い出すことができる。

もっと間近にこの地震の影響を受けた人たちにとっては

忘れたくても忘れられない出来事なんだろう。



この3年間、いったいアタシは何をしてきたんだ?

自分のこと、家族のことだけで精一杯だった。

心に想うだけで、何も行動していない。

なんとも情けない限りである。



今朝、FBを覗いていて、こんなシェアを見つけた。





「3.11、検索は応援になる」



「今日、Yahoo!検索で「3.11」というキーワードで

検索された方おひとりにつき10円が、

Yahoo!検索から公益財団法人

東日本大震災復興支援財団の「一般寄附金」へ寄付されます。」



だそうだ。



早速、検索をして、FBでもシェアした。

普段の生活で、そして仕事において、「検索」は必要不可欠となっている。

それをすることで、募金になるなら…と思ったのだ。



くま母なおちゃんは教会を通じていろいろと支援活動をしている。

彼女の行動力はやっぱり素晴らしい。

自分ができることだけよ…と言っているが、

もの凄いエネルギーとパワーが彼女には備わっている。

やっぱり彼女にゃ敵わない。



そんななおちゃんとごちそうさんの話にもなり、

そこから戦争の話になった。

御年、82才のなおちゃんは、もちろん戦前生まれである。



考えてみたら、彼女から戦時中のことを聞いた記憶がない。

ずーっと前にちらりと聞いたことがあるのだが、



「あんまりよく覚えてないのよね―」

と、笑って答えていたような気がする。



本当に覚えてないのかもしれないが、

もしかしたら、敢えて思い出したくないのかもしれない。

そんな彼女がぽつりと言った。



「戦争中より、戦後の方が大変だったのよね。

食べ物もないし…。

お弁当もお米なんてないから、お芋ばっかりだったわ。」



今のアタシの生活からは想像なんてできないほどの生活を

なおちゃんは送ってきたのだ。

食べ物のこともびっくりだが、

戦争中、戦後もちゃんと学校へ通っていたんだって。

どんな状況下にあろうとも、学校に行けるって凄いと思った。



彼女が住んでいた世田谷区の豪徳寺あたりは、大きな空襲もなく、

アメリカ兵がやってきて

「ギブ・ミー・チョコレート!」なんていう場面もなく、

ジープが滑走するなんていう、映画に出てくるようなことはなかったらしい。



狭いようで広い日本である。

なおちゃんが住んでいた町は比較的被害が少なかったのかもしれない。

ただ、食糧難のために、なおちゃんより大きかった

兄姉たちは埼玉や神奈川の奥地まで

野菜を買い出しに出かけて行ったそうだ。



今はなんでもすぐ手に入る時代である。

賞味期限がきちゃって、無駄にすることだってある。

罰当たりにもほどがある。



せめて、なおちゃんの話をもっと聞こうと思った。

戦争のことはそれこそ本やネットでも十分調べることができる。

でも、実際にその時代に生きた人の声を聞くことが大切なんだと思う。



こんな身近なところに居るんだもの。

彼女から得られるものは全て得る。

そして、それをアタシが子どもたちに伝える。

言葉じゃなくても、アタシが得たモノを、

態度で示していければ最高じゃないか。



「今からでも遅くない。」

・・・そんなことを朝から思った。



さぁ、洗濯物干したら、お仕事だ。

今日も一日を大切に過ごそう。




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