yaplog!が終わってしまうので、「新・くまのひとりごと」(2012年12月31日から2019年8月5日まで)をココに保管することにしました。
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巷では「年賀状のやり取りはもうやめましょう〜」的な空気が流れているという。
会社のメンバーひとりに、ご丁寧にメールで「今回限りで…」とわざわざ連絡を頂いてびっくらした。
まぁ、彼女はとっても真面目な方なので、「毎年もらっておいてスルー」するのがイヤだったんだろう。
でも、なんだか寂しい気もした。
受け取ってくれるだけでこっちは満足だったんだけど。
それは、ただの自己満だったんだな。
年始早々、年賀状のあり方をちょいと考えていたら、年賀状に混じって封書が届いていた。
差出人はこばちゃんが生前お世話になっていたN社長だった。
元々、こばちゃんは、N社長の経営するプロダクション会社でADとしてスタートした。
(その前は劇団員とバイトの掛け持ちというびっくりする経歴の持ち主である。
しかも、同じ劇団には今をときめく遠藤憲一さんもいた。)
で、劇団もバイトからも足を洗い、映像の道へ進んだ頃、アタシ達は出会った。
その後、N社長と大喧嘩をして会社を辞め、独立してフリーのディレクターになった。
なんだかんだありつつも、結局社長との縁は切れることなく、仕事を頂いたり、お手伝いしたり…
とてもいい関係が続いていた。
N社長は、ホントの息子のようにこばちゃんを可愛がってくれた。
さらに、アタシや子どもらのこともいつも気にかけてくれていた。
そんな時、こばちゃんに病気が見つかり、そのことを報告すると、真っ先にウチに飛んできた。
山盛りのお見舞金とメロンを持って。
社長のいてもたってもいられない様子は、今でもはっきり覚えている。
一年半後、こばちゃんは亡くなってしまう。
こばちゃんが居なくなっても、アタシは、毎年、年賀状を送り続けた。
自分たちの様子をお知らせしたかったから。
もちろん、社長からも毎年近況を知らせる年賀状を頂き、
「社長、お元気なのねー」と、安心していた。
突然の封書にビビり、中を開けてみる。
そこには、「今年いただいた賀状の中で、一番感動したのは泉さんからの賀状です。…」
と、みんみの結婚を本当に喜んで下さっている文章が綴られていたのだ。
「小林くんが生きていたらどんなによろこんだことか…」
涙が止まらなかったそうだ。
それを読んで、こちらの涙腺が崩壊した。
N社長のお気持ちがひしひしと伝わってきちまった。
これも、年賀状を書き続けていたからこそのお手紙だと思った次第。
結婚式にお呼びするわけじゃないから、わざわざ結婚の報告をするのもなーという関係の方々は大勢いる。
でも、ついこの間までちっちゃかったみんみが(背は変わらないけど)、結婚したんですー!
と、報告したい方々も沢山いる。
そんな時に年賀状でお伝えするのは、最高の機会だったのだ。
結婚だけじゃない。
子どもらの入学、卒業、就職を知らせるいいチャンスでもある。
アタシが宝塚にハマっていることを書いたら、何十年かぶりに再会出来た友だちもいる。笑
普段、ご無沙汰になっている方々と唯一繋がることが出来る年賀状。
うん。
あたしゃ、やっぱり、年賀状が好き。
ってことで、来年の年賀状の構成を既に考え始めるアタシであった。笑

只今、ネイルの順番待ち時間をスタバで過ごしている。
あと、15分ぐらいかな。
ネイルの後は、カット&カラーをしに、Ashへ行く。
今日は美容日だ。
そりでは、みなさまもステキングな土曜日を。
会社のメンバーひとりに、ご丁寧にメールで「今回限りで…」とわざわざ連絡を頂いてびっくらした。
まぁ、彼女はとっても真面目な方なので、「毎年もらっておいてスルー」するのがイヤだったんだろう。
でも、なんだか寂しい気もした。
受け取ってくれるだけでこっちは満足だったんだけど。
それは、ただの自己満だったんだな。
年始早々、年賀状のあり方をちょいと考えていたら、年賀状に混じって封書が届いていた。
差出人はこばちゃんが生前お世話になっていたN社長だった。
元々、こばちゃんは、N社長の経営するプロダクション会社でADとしてスタートした。
(その前は劇団員とバイトの掛け持ちというびっくりする経歴の持ち主である。
しかも、同じ劇団には今をときめく遠藤憲一さんもいた。)
で、劇団もバイトからも足を洗い、映像の道へ進んだ頃、アタシ達は出会った。
その後、N社長と大喧嘩をして会社を辞め、独立してフリーのディレクターになった。
なんだかんだありつつも、結局社長との縁は切れることなく、仕事を頂いたり、お手伝いしたり…
とてもいい関係が続いていた。
N社長は、ホントの息子のようにこばちゃんを可愛がってくれた。
さらに、アタシや子どもらのこともいつも気にかけてくれていた。
そんな時、こばちゃんに病気が見つかり、そのことを報告すると、真っ先にウチに飛んできた。
山盛りのお見舞金とメロンを持って。
社長のいてもたってもいられない様子は、今でもはっきり覚えている。
一年半後、こばちゃんは亡くなってしまう。
こばちゃんが居なくなっても、アタシは、毎年、年賀状を送り続けた。
自分たちの様子をお知らせしたかったから。
もちろん、社長からも毎年近況を知らせる年賀状を頂き、
「社長、お元気なのねー」と、安心していた。
突然の封書にビビり、中を開けてみる。
そこには、「今年いただいた賀状の中で、一番感動したのは泉さんからの賀状です。…」
と、みんみの結婚を本当に喜んで下さっている文章が綴られていたのだ。
「小林くんが生きていたらどんなによろこんだことか…」
涙が止まらなかったそうだ。
それを読んで、こちらの涙腺が崩壊した。
N社長のお気持ちがひしひしと伝わってきちまった。
これも、年賀状を書き続けていたからこそのお手紙だと思った次第。
結婚式にお呼びするわけじゃないから、わざわざ結婚の報告をするのもなーという関係の方々は大勢いる。
でも、ついこの間までちっちゃかったみんみが(背は変わらないけど)、結婚したんですー!
と、報告したい方々も沢山いる。
そんな時に年賀状でお伝えするのは、最高の機会だったのだ。
結婚だけじゃない。
子どもらの入学、卒業、就職を知らせるいいチャンスでもある。
アタシが宝塚にハマっていることを書いたら、何十年かぶりに再会出来た友だちもいる。笑
普段、ご無沙汰になっている方々と唯一繋がることが出来る年賀状。
うん。
あたしゃ、やっぱり、年賀状が好き。
ってことで、来年の年賀状の構成を既に考え始めるアタシであった。笑

只今、ネイルの順番待ち時間をスタバで過ごしている。
あと、15分ぐらいかな。
ネイルの後は、カット&カラーをしに、Ashへ行く。
今日は美容日だ。
そりでは、みなさまもステキングな土曜日を。
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