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yaplog!が終わってしまうので、「新・くまのひとりごと」(2012年12月31日から2019年8月5日まで)をココに保管することにしました。
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朝っぱらの5時過ぎに起きた菊名駅の保安装置故障。

この影響をもろかぶりして、

むっくは今日受けるはずだった

二俣川での免許の最終試験を見送った。

ちょい前にもやんごとなき事情で受けに行かれず…

来週は予定びっしりの彼は、

24日以降に改めて受けると言っていた。

大雪の影響を受けつつも、いい感じでノーミスできている運転免許である。

再来週の試験には何も起きないと良いけど。



それにしても、最近の東横線は残念なことが続く。

子供の頃から愛してやまない東急なだけに、

なんとも悲しい気分である。

昔から事故や遅延に無縁とされていた東急電鉄である。



路線が延びたり、合体したり、特急や急行が増えたり…

お便利になればなるほど、リスクの度合いも上がるのは致し方ない。



ただ、よりによってなんでラボ勤務の時にかぶるかなー。

めちゃくちゃ当たる確率が高い今日この頃である。



でも、駅員さんやら影で動いているだろう方々を思うと何も言えない。

みなさん、ホントにご苦労様です。



混雑を避け、出勤時間を遅らせた。

今、日吉駅。

いつもの感じである。

電車は全て各駅停車に変更。

渋谷からの連絡はどうなってるのかなー。

アタシが乗ったのは渋谷駅行きだった。

渋谷行きの文字に懐かしさを覚えた。

最近は、小手指行きとか飯能行きの文字に慣れてたからね。w



こんな時は。この子を見て元気を出していこう。





そりでは、みなさまステキングな花金を!








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超へろへろモードで帰宅したアタシを

めちゃくちゃ素敵なプレゼントが迎えてくれた。

そりは、コレ。





従姉のひろこちゃんお手製のブレスである。

以前からお伝えしているが、

彼女のビーズアクセサリーの腕前はプロ並みである。

実際、行きつけの美容院のギャラリーに卸しているんだから、

れっきとしたプロだな。



その彼女の作品たちの画像をメールに添付してもらい、

アタシが画像を編集し、種類ごとにファイルとしてまとめさせて頂いている。

写真用光沢紙にプリントして、

何枚か貯まったところで、ひろこちゃんに送付する。



で、送るごとに、律儀な彼女は

インク代と紙代の物々交換と題して

アタシのリクエストした作品を作って送って下さる。

どう考えても、アタシの方がお得極まりない。

これぞ、エビタイ状態。



毎回恐縮しながらも、図々しくリクエストさせていただいている。

今までの作品ももちろん大好きだ。

しかし、このブレスはNo.1と言っても過言でない。



画像でみたときから一目惚れだった。

流石に、お手間も、材料費もかかる作品だと、素人のアタシでもわかる。



だが、ひろこちゃんの

「好きなモノを言ってね♪」

の、優しいお言葉に甘え、

ついついこれをリクエストしてしまったのだ。



ひろこちゃーん!

ありがとうございます!



そうだ。お守りにしよう。

大決定ー!

これが届いた日に案件受注が決まったし、

なんだか、幸運を呼び寄せてくれる気がするのだ。



眠いんだけど、嬉しさのあまり興奮して眠れん。(笑)

…子供か!



そりではみなさま、今度こそ…

「今夜もステキングな夢を。」
デロデロになっちまった先々週。

あの時関わっていたでっかい案件の受注連絡がきた。

っつうか、代表に言われて、こっちから問い合わせしたんだけどね。



いやー、報われた感200%って感じ。

これがダメだったら、また再来週頭が期限の案件に応札する空気だったわけで。

ホントによかった。



ホッとしている間もなく、

今度は契約やら何やらの準備である。

去年の今頃に、同様のでっかい案件を契約してるから、

前ほどのどきどき感はない。

あとは、どれだけスマートに、そしてスムーズに事務をこなすかだ。



石橋を叩きすぎて壊しちゃうくらいの慎重派のくせに、

信じられないところでポカミスをするのがアタシである。

この間も、本気で代表に呆れられてしまったばかりだ。

兎に角、焦らず落ちついてこなさねばな。



そんな時心を落ち着かせてくれる最強のアイテムがある。





このチョコレート。

かなり昔にマイブームとなったのだが、

最近、またブームが復活した。

いろいろな種類があるけれど、

今のお気に入りは、このハーフ&ハーフ。

ミルクとビターがいい感じに口の中でとろけあうのだ。



チョコレートって、ホントにすばらしい。



ちなみに、これもアタシにパワーをくれた。

東京スパイシーワゴンのお弁当。 





今日のチョイスは鶏肉のレモングラスとパクチー炒め。

これが、ご飯の上にドドーンと乗っている。

ガッパオと同じようにえらいボリューミーなのだ。



さすがのアタシも一気に食すのは無理…。

お昼と夜に分けて食した。

嗚呼、なんて安上がりなおいら。

先ほどlineで子供らはウチにある残り物で夕飯を食べてくれたことが判明した。

ほんにええ子たちや。



明日は急な呼び出しがない限り在宅勤務と決めている。

前回泣く泣くキャンセルしたさっちんのエステが夕方に入っているのだ。

至極の時を味わうためにも、バッチリキッチリ働こう。

そして、明後日のラボ勤務を終えたら週末だー!!



がんばれ、自分。

焦るな、自分。

何をおいても平常心だ。



そりでは、日吉までちょいと一眠りいたします。

みなさま、今夜もステキングな夢を。
朝からキチントさんで始まった一日だった。

まずは8時前には収集に来てしまうプラゴミを出す。

いや、出したのはむっくだった。(笑)



そして、ダイソン君と余録書き。

さらに、朝っぱらからブログもあげた。

そのまま、お仕事に突入して、ちゃんと12時過ぎにお昼ごはん。







まなの大好きなジャガイモグラタンである。

めっちゃ辛いお茶碗カレーもある。

ひじょーによくできた…!と思っていた。

が、ひとつだけ大失敗をかました。



一部のジャガイモが固かったのだ。

これは、もう致命傷と言えよう。

メインのジャガイモが残念な状態なんて…。

おそらく、チンが足りなかったんだろう。



食べ始めてから、チンしてみたけどいまいちだった。

でも、みんなは、

「おいしいよ―」と言ってくれる。



嗚呼、健気な子どもらよ。

アタシは学んだ。

ジャガイモはやはり「茹でる」に限る、と。



その後、ちまちまとお仕事をして、夕方遅くに夕飯の準備を始めた。

本当はお昼の残りでいいよね―とむっくと話していた。

が、思い直したのだ。



(ウチに居る時ぐらい、ちゃんと作るべ。)



そして、珍しくお魚料理に着手した。

生協の「とれとれアジ」という、

鯵のたたきのパックを使っての和風ハンバーグである。



あとは、こんにゃくと豚肉の甘辛煮と、

この間ローゼンハイム様で買った、

きゅうりの塩昆布サラダの真似っこをしてみた。

ただ、ちょいと味を変えてみた。

ごま油と寿司酢で味付けしてみたのだ。



ちょうど鯵のハンバーグを焼こうかな―と思った頃に、

まなをおウチまで送ってきたむっくが帰宅した。

匂いにつられてキッチンへやって来たむっく。

びっくり顔でこう言った。



「あれ?夜は残りモノじゃないの?」



「うん。そう思ってたんだけどね―。」



メニューを説明すると、



「えらいじゃん!ちゃんとした(笑)ごはんじゃん!!」

と、ニコニコしている。



そうだよな―。

やっぱり、ちゃんとした(笑)ごはんはうれしいよな。

あとは、盛り付けるだけ状態の時に玄関のドアが開く音がした。



「ただいま―♪」

みんみである。



「あれ―――?早かったね―。」



「あ!やっぱりLINE見てないんだね。

ごはん、何かあったら嬉しいな―って書いたんだよ。」



「まじか!?ごめん!バタバタしてて見てなかった。

でも、今日はちゃんとあるのだよ!!」



「え―――!?ホントに?

お昼もちゃんと(笑)作ったのに、夜も作ったの?

凄いじゃ−−−−ん!!」



「えへへへ。」



って、照れてる場合じゃない。

アタシってば、どれだけごはんを作らない人に成り下がってるんだ。

いやいや、これは忌々しき問題だよ。



ま、とりあえず、ご飯にしましょう−−−!

と言うことで、3人そろって「いただきます」。







「めっちゃ美味しい!」



「今日は100点満点だな♪」



アタシがなんも言わないのに、二人ともめちゃくちゃ褒めてくれる。

やっぱり、照れる。

嬉しくて、顔がにやけてしまうアホ母である。

っつうか、ちゃんと毎日作らなきゃなんだな―。



でも、実際、あの子たちも毎日ウチで食べるわけじゃない。

その辺りのスケジュール合わせが微妙に難しかったりもする。

グラタンも、こんにゃくの甘辛煮も、ハンバーグも、キュウリも…

若干だが、明日以降にとってある。



(これで、明日、明後日は食いつなげるな。)

って、全然学習してないじゃん。(笑)



いやね、毎日ごちそうを食べてたら贅沢になっちゃうでしょ。

間に粗食を入れるのは大事なわけよ。

ってことで、よしとするか。



納得したところで、アタシは決めた。

今日は11時半迄にお布団に入る。

そして、8時間寝る。

さぁ、お風呂に入って、洗濯機回すぞ―。



そりでは、みなさま、今夜もステキングな夢を。








今日は3月11日。

東日本大震災から丸3年。

昨日、くま母なおちゃんと他愛もない話を電話でしていた。

自然と話の流れが震災へと変わっていった。



あの日のこと、あの時のことを今でもアタシは忘れない。

前日の10日。

奇跡的に(笑)みんみが一橋に合格。

翌日の11日のお昼過ぎ。

仲良く二人して三井住友銀行に入学金を納めに行った。



日吉駅で別れた。

アタシはメダカの水槽を掃除するためにウチに戻った。

みんみは、久しぶりにお買い物がしたい!と

センター南の東急へ向かった。



むっくは、午後からの中学の謝恩会に参加するまで

友だちとカラオケに行くと言って出かけていた。



のんびり水槽を洗っていたちょうどその時、

あの大きな地震が東日本を襲った。

むっくは事の重大さに全然気づかず、暢気な顔をしてウチに戻ってきた。



みんみとはかろうじてメールで連絡が取れた。

センター南の駅に避難しているという。

兎に角、そこにじっとしていなさい…とだけ伝えた。



夕方から開催するはずだったむっくのクラスの謝恩会。

ダメもとでお店に連絡をしてみる。

お店自体、開店できない状態だという。



外がどんな状態なのか全然わかっていないアタシは、

まさか、津波が襲ってきていたことなんて想像だにしていなかった。

謝恩会委員のメンバーと共に、中止のお知らせを回し、

間違えてお店に来てしまった人たちのために、お店の前に集合することになった。



電気が遮断された日吉の街。

まるでそこはゴーストタウンだった。

駅から家路に向かう人々が黙々と歩いている。

その人ごみをむっくと一緒に逆走した。



予想以上に中止の連絡がキチンと回り、お店に来る子供たちは少なかった。

安心しつつも、みんみのことが気になる。

一緒に居たメンバーがセンター南まで

車で迎えにいってあげるよ!と言ってきてくれた。

それから往復4時間近くかけて、みんみを救出した。



普段なら片道20分もかからない道のりだった。

建物が倒壊するとか、火事が起きるとか、川が氾濫するとか…

そんなこととは一切無縁だった。

でも、今回の地震の大きさは確実にアタシの心に残った。



こんな被害のうちに入らない経験しかしていないアタシでさえ、

あの日のことは今でもくっきりと思い出すことができる。

もっと間近にこの地震の影響を受けた人たちにとっては

忘れたくても忘れられない出来事なんだろう。



この3年間、いったいアタシは何をしてきたんだ?

自分のこと、家族のことだけで精一杯だった。

心に想うだけで、何も行動していない。

なんとも情けない限りである。



今朝、FBを覗いていて、こんなシェアを見つけた。





「3.11、検索は応援になる」



「今日、Yahoo!検索で「3.11」というキーワードで

検索された方おひとりにつき10円が、

Yahoo!検索から公益財団法人

東日本大震災復興支援財団の「一般寄附金」へ寄付されます。」



だそうだ。



早速、検索をして、FBでもシェアした。

普段の生活で、そして仕事において、「検索」は必要不可欠となっている。

それをすることで、募金になるなら…と思ったのだ。



くま母なおちゃんは教会を通じていろいろと支援活動をしている。

彼女の行動力はやっぱり素晴らしい。

自分ができることだけよ…と言っているが、

もの凄いエネルギーとパワーが彼女には備わっている。

やっぱり彼女にゃ敵わない。



そんななおちゃんとごちそうさんの話にもなり、

そこから戦争の話になった。

御年、82才のなおちゃんは、もちろん戦前生まれである。



考えてみたら、彼女から戦時中のことを聞いた記憶がない。

ずーっと前にちらりと聞いたことがあるのだが、



「あんまりよく覚えてないのよね―」

と、笑って答えていたような気がする。



本当に覚えてないのかもしれないが、

もしかしたら、敢えて思い出したくないのかもしれない。

そんな彼女がぽつりと言った。



「戦争中より、戦後の方が大変だったのよね。

食べ物もないし…。

お弁当もお米なんてないから、お芋ばっかりだったわ。」



今のアタシの生活からは想像なんてできないほどの生活を

なおちゃんは送ってきたのだ。

食べ物のこともびっくりだが、

戦争中、戦後もちゃんと学校へ通っていたんだって。

どんな状況下にあろうとも、学校に行けるって凄いと思った。



彼女が住んでいた世田谷区の豪徳寺あたりは、大きな空襲もなく、

アメリカ兵がやってきて

「ギブ・ミー・チョコレート!」なんていう場面もなく、

ジープが滑走するなんていう、映画に出てくるようなことはなかったらしい。



狭いようで広い日本である。

なおちゃんが住んでいた町は比較的被害が少なかったのかもしれない。

ただ、食糧難のために、なおちゃんより大きかった

兄姉たちは埼玉や神奈川の奥地まで

野菜を買い出しに出かけて行ったそうだ。



今はなんでもすぐ手に入る時代である。

賞味期限がきちゃって、無駄にすることだってある。

罰当たりにもほどがある。



せめて、なおちゃんの話をもっと聞こうと思った。

戦争のことはそれこそ本やネットでも十分調べることができる。

でも、実際にその時代に生きた人の声を聞くことが大切なんだと思う。



こんな身近なところに居るんだもの。

彼女から得られるものは全て得る。

そして、それをアタシが子どもたちに伝える。

言葉じゃなくても、アタシが得たモノを、

態度で示していければ最高じゃないか。



「今からでも遅くない。」

・・・そんなことを朝から思った。



さぁ、洗濯物干したら、お仕事だ。

今日も一日を大切に過ごそう。




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